隠居の雄叫び 【じゃがいも党】

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【アイヌは流行】

中国の北海道侵略に利用されているアイヌ

でも、アイヌ新法が施行されてしまっており、容易に覆される物では無い。

そして、このアイヌ新法にあの悪名高い「日本学術会議」が絡んでいるようなので胡散臭さ満点である。

さて、アイヌがどうこう言うのは隠居には興味が無い。

問題は日本分断に利用されるのが困るのだ。

で、隠居も考えて見た。

全部書くと長くなるので要点だけ。

アイヌの遺跡が鎌倉時代以前にはない

Y染色体のハプログループが沖縄とアイヌが高い確率で一致

これ以外にも言語や生活様式なども言われている

 

で、難しい事は隠居には分からないので、とりあえず上記2点だけで。

鎌倉時代以前にはアイヌの痕跡が無いと言う事は何処からか北海道へやって来たと考えるべきだ。

ちょうどその頃、モンゴルが樺太周囲の民族を攻撃したとの歴史があるようで、樺太から北海道へ逃げてきたと考えるのが順当だ。ただ、戦闘力を考えると樺太の民族はほとんどやられ、ごく一部が北海道へ逃げ延びたと考えた。

もう1点、Y染色体についてはアイヌと沖縄が同じと言うのが興味深い。もちろん本土もそれに準ずるようだが、後世に半島からの遺伝子流入で確度が下がったと考えるべきだ。つまり、日本はほぼ同じグループにより長い間閉鎖的に暮らしていたと言う事だ。

そして、樺太に同じY染色体を持つ人がほとんどいない。

 

ここで、隠居の結論。(もう結論かい!)

それまで擦文文化だった北海道が少数のアイヌに占領されたはずが無い。

これはモンゴルに追いやられ北海道へ逃げてきたアイヌの人たちの文化を「おおカッコいい」と真似したのがアイヌの始まりと見た。

もちろん、生粋のアイヌも居たと思うが、ほとんどが日本人でアイヌを真似したのだと考える。

つまり「アイヌは文化ではなく流行だ」これが結論である。www

 

日本人はチョンマゲで刀を差していると定義すれば、今の日本には日本人が居ない事になる。一気にそのスタイルが変貌したのだ。

当時北海道は擦文文化(縄文文化の続き)で北海道に広く遺跡が残っている。

北海道の人々は和人(本土人)との文明の差から敵対していたのではないか?

そこへやって来たアイヌは斬新に見えたに違いない。

そして何よりその生活スタイルが寒く厳しい環境で生きるのには適していたのだろう。

北海道へやって来たアイヌの人たちの生活スタイルに憧れ、積極的に受け入れたと言うのが事実だと隠居は考える。

つまり北海道にアイヌブームがやってきたのだ。そう考えると言語が各地で一致しないなどの矛盾も解消される。

今、アイヌ語が統一されているのは、少数民族を定義するとき、言語が一つである必要が規定されているからで、最近無理やり統一されたと聞いた。

 

鎌倉時代に北海道へやって来たアイヌに触発され、自らアイヌを真似た北海道に住む日本人たちのブームだったのだ。と考える。